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戦史の立体的把握に向けて

池田 明史 東洋英和女学院大学学長

 

 「‥‥何よりも、シリアであれそのほかのどこであれ、われわれはフランスの領土に対する如何なる野心も持っていないことを繰り返し明らかにしておきたい。われわれはこの戦争において、植民地その他この種の利得を追求しているのではない。わがフランスの友人たちには、ドイツやヴィシー政権の見え見えの宣伝に乗せられることのないように願いたい。むしろ逆である。われわれは、自由と独立、そしてフランスの権利を回復するために、持てるすべての力を尽くすだろう。‥‥」これは1941年6月、「クレタ失陥とその教訓」と題したウィンストン・チャーチル英首相の議会演説の一節である。本史料所収のテキストの一例だが、併載している当時の戦況・情勢分析(Commentary)や事実経緯(History in Brief)のリアルタイムでの記録に照らしつつ読めば、連合軍が地中海の要衝であったクレタを失ったことで、ドイツ軍が枢軸側であるヴィシー・フランス軍の支配するシリア・レバノンに侵攻する可能性が高くなり、これを先制抑止するために英国はシリア・レバノンへの派兵を決定した、という事情が判然とする。この地域を奪われれば、英国が生命線とするエジプトのスエズ運河の通航が脅かされるとの危機感までひしひしと伝わってくるのである。こうしたテキスト分析は、本史料の最大の特徴である大量の写真・図版・地図(Illustrations and Maps)によってさらにリアリティを増す。その意味で本史料は、第二次世界大戦の連合軍とりわけ英国から見た通史を、文字通り立体的に俯瞰するには最適と言えよう。

 現代中東の政治や国際関係を研究の対象としている私にとっても、第二次大戦の北アフリカ・中東における戦役が現在の同地域の混乱につながっているとの認識はあるものの、各戦線の実態や連動性の詳細について必ずしも馴染みがあるわけではない。本史料はその欠落を十分に補ってくれる。

 それにしても、冒頭テキストの「フランス」を「アラブ」に、「ドイツやヴィシー政権」を「アメリカやヨーロッパ連合」に置き換えてみると、昨今シリア内戦に軍事介入したロシアの言い分にほぼ重なる。「歴史は繰り返すのか」と自問する契機としても、有り難い史料である。