Athena Press

 

Picturesque Americaから“See America First”の時代へ

野田 研一 立教大学名誉教授

 

 「まずアメリカを見よう」(See America First)というスローガンが、アーネスト・ヘミングウエイの『日はまた昇る』(1926)にちらりと姿を見せる。ヘミングウエイの登場人物は往々にしてヨーロッパを旅するアメリカ人たちだが、そんなアメリカ人のひとりが呟くことばが「まずアメリカを見よう」である。それはこのスローガンが当時のアメリカ人たちの旅の意識の一部を規定し、性格づけていたことを証立てている注1

 「まずアメリカを見よう」キャンペーンはアメリカ国内における観光と経済の振興策であり、また、20世紀初頭のナショナル・アイデンティティ形成の基盤ともなっていた。このキャンペーンを土台として生まれた出版物が、1914年から1931年までの期間に刊行された旅行ガイドシリーズSee America First series である。

 このシリーズが歴史・文化的にいかなる意味をもつか、今後多面的な検討を要することになるであろう。とりわけ、ほぼアメリカ全土をカバーする初めての旅行ガイドとして企画・刊行された本シリーズは、旅行ガイドブックとしての記述様式、場所・景観の選定、風景感覚/美学、交通機関や宿泊施設などインフラの整備状況などの紹介を通じて、多面的に時代の意識やイデオロギーや歴史性を映し出している。

 とくにここで注目したいのは時代の問題である。本シリーズが刊行された1914年から1931年までの期間とはどのような時代であったか。マーガリート・S・シェイファーは、“See America First Movement”に関するほぼ唯一の研究書であるその著書、See America First: Tourism and National Identity, 1880-1940 (2001)において、そのサブタイトルが示すとおり、対象とする時代を1880年から1940年までの60年としている。いっぽう、歴史学者ピーター・ J・ シュミットによる名著、Back to Nature: The Arcadian Myth in Urban America (1990)もまた、奇しくも1880年を起点として1920年までの40年間を対象として、それを「自然回帰運動」(Back to Nature Movement)の時代として把捉している。

 上の二つの文献に基づいて、19世紀末から20世紀への世紀転換期の40年ないし60年間に起こったことを要約すれば、それは「自然回帰運動」と「まずアメリカを見よう」キャンペーンが連続的・連携的に時代の思潮を方向づけていた時代ということができよう。加えて、1880年の少し前の1872年から74年にかけては、豪華2巻本Picturesque America; or, The Land We live In(以下、Picturesque America)が刊行されていることも注目に値する。じっさい、シェイファーは、このPicturesque Americaから“See America First”シリーズへの継承過程に注目している。

 Picturesque Americaは、それまでに19世紀アメリカで大量に流布された(1000種類を越えるとされる)、いわゆるピクチャレスク本の頂点を提示していた。当代有数の知識人であった詩人ウィリアム・カレン・ブライアントを編者として迎えたこの本は、自然や風景をめぐるアメリカン・ピクチャレスク美学の集大成であるばかりでなく、アメリカにおけるナショナリズムすなわち「アメリカの自己イメージ」の拡大と深化を語る図像集としての役割を雄弁に語っている。刊行後、約100年を経た1969年に、この豪華本の抄本(題名:America Was Beautiful)を刊行したメトロポリタン美術館の館長は、次のように回顧している注2

それはアメリカが希望に燃えた夜明けの時代でした。誰もが熱っぽかった時代、アメリカという土地の広大さと無限の可能性を発見した時代だったのです。たしかにアメリカは美しかった。

  Picturesque Americaを読み、賞翫することを通じて、私たちはまぎれもなく「美しかりしアメリカ」、歴史学者ペリー・ミラーのいうnature’s nationとしてのアメリカの美意識と美学の究竟頂を深く認識することができる。Picturesque Americaはその意味で風景として把握された19世紀アメリカの記憶である。だが、ひとつだけ気がかりなことがあった。それはこのように頂点を極めた「アメリカ風景論」はそのさきにどのような展開を見せたのか。それがかならずしも明確ではないという事実であった。Picturesque Americaは、その後どのように継承されていったのか。あるいは、みずからを頂点としたまま途絶して、その風景美学は19世紀的なるものとして凍結されただけであったのか。

  Picturesque America以降の「自然回帰運動の時代」を経て、20世紀における風景美学の大きな転換点を指し示すのが “See America First Movement”であり、その具体的結実としての出版物、See America First seriesである。「純粋自然」としてのウィルダネス保護への動きが加速し、国立公園の制定、自然保護団体の設立から「自然学習」(nature study)運動の開始、ネイチャーライティングの登場などへと連動していった19世紀末から20世紀初頭の「自然回帰の時代」。アメリカ環境思想を検討する上で決定的な事象が次々に実現していったこの時代に関する不可欠の資料、それがSee America First seriesである。これまではっきりと見えなかったものが見えてくるはずである。

 

注1:詳しくは、日本における“See America First”に関する稀少な先行研究、小笠原亜依氏による「幻視する原初のアメリカ─「まずアメリカを見よう」キャンペーンとヘミングウェイの風景」(野田研一編『〈風景〉のアメリカ文化学 シリーズ・アメリカ文化を読む2』、ミネルヴァ書房、2011)を参照されたい。

注2:Picturesque Americaに関しては、野田研一「ピクチャレスク・アメリカ—一九世紀風景美学の形成」(野田研一『交感と表象—ネイチャーライティングとは何か』、松柏社、2003)を参照されたい。