Athena Press

 

ヴィクトリア朝後期から世紀末のロンドン

―― 大英帝国の誇る「モノ」の文化の豊饒な力 ――

 

玉井 暲(大阪大学名誉教授/武庫川女子大学教授)

 

 19世紀から20世紀にかけてのイギリスの文化的変遷を、大きく捉えて、ヴィクトリア朝後期、世紀末、エドワード朝時代に分けてみてみると、オスカー・ワイルドが『獄中記』(1897)において、「私は、私の時代の芸術と文化にたいして象徴的な関係に立っている」と言ってのけ、ヴィクトリア朝的なるものへの決別を宣言した言は、この時代区分を考えるのに興味深いものがある。また、ヴァージニア・ウルフが、エッセイ「ベネット氏とブラウン夫人」(1924)において、「1910年の12月かそのあたりを境にして人間性が変った」と言って、エドワード朝時代のリアリズム作家との絶縁を宣言し、モダニズム小説家としての立場を明言した言も、この時代区分を正当化するのに有効であろう。すなわちイギリスは、ヴィクトリア女王が1837年に即位し、1897年のダイアモンド・ジュビリーで即位60周年を祝い、1901年の崩御でもって長いヴィクトリア朝の終焉を迎えるに至るが、この時代にあって、その隆盛を極めた経済力を背景にしてさまざまな文化的領域において大英帝国としての威容を誇ることができたが、その一方で、これに抵抗する新しい相が次第に力を得て来つつあった。確固とした〈モノ〉の存在を基盤として確立されていた価値観・世界観が、ヴィトリア朝後期から世紀末を迎えて揺らぎ始め、やがて、人間が共通に享受できていた経験や事実の世界に確信をもてなくなるに至り、その結果、個人的ヴィジョンに基づいたリアリティを尊重する人間観や世界観が有力になってくる時代であった。

 ヴィクトリア朝後期から世紀末への時代は、しかしながら、このような世界観の変化・変遷につながる傾向を潜在させながらも、〈モノ〉のもつ価値をまっとうに確信し、その自信に基づいて伝統的文化を継承し、そのうえに新しく生み出したすがたを付加して堂々と顕示できる力を失ってはいなかった。この豊饒な物質的文明が頂点を極めた舞台は、帝都ロンドンを措いては他にはない。「アティーナ・プレス」が、この度刊行した文化的・社会的資料のコレクション、「Late-Victorian London, 1880–1900 –– ヴィクトリア朝後期から世紀末のロンドン」(Parts 1–3: 概観・図像記録)」は、大英帝国としてのイギリスが、自ら育んできた伝統的な〈モノ〉の文化的世界が大きな豊饒性を備えていることを鮮やかに見せてくれる。今日入手が困難なものを含んだこれらの資料は、ヴィクトリア朝後期・世紀末時代のイギリスの文学、文化、歴史、社会、建築、科学等の研究にとって貴重なだけでなく、この時代の帝都ロンドンのすがたを彷彿とさせる、楽しく読むことのできる側面を多々備えているのも大きな魅力である。ちなみに、イギリスの文化が、〈モノ〉のもつ存在意義を尊重し、かつ〈モノ〉の革新に積極的に対応する姿勢を秘めている特質は、たとえば、歴史学者エイザ・ブリッグス『ヴィクトリア朝のもの』(玉井暲・米本弘一監訳、国文社、2020)を見ても確認できることである。

 このコレクションのPart1は、2冊からなる。まず、古物研究に関わる面で多数の書物を発表した著述家ウィリアム・J・ロフティーが、その博識と美的描写力を駆使して、ロンドンの「市内」の建築物を中心に都市風景を描いた書物(1891)がある。ロンドンの歴史と発展の過程、公的機関や役所の建築、シティーの街の様子、教会等について、解説を交えつつ街の細部が紹介されている。もう一冊は、ヴィクトリア朝の代表的な小説家ディケンズと交流のあった批評家パーシー・フィッツジェラルドがロンドンの「郊外」の様子を描いた書物(1893)である。ロンドン市内の公園、テムズ川の周辺の風景、ハムステッド・ヒースに代表されるロンドン北部の田園、東部の風景、グリニッジ周辺のロンドン南部やテムズ川の下流の風景の様子が描かれている。これらの二冊の書物では、写真でなくて、多数のスケッチが用いられていることが、ロンドンの当時の風景を彷彿とさせるのに効果的となっている。

 Part 2には、商業都市ロンドンの特徴を表わすために、世紀末のロンドンにその拠点を置いていた商会や企業について紹介・説明した2冊の書物(18871893)が収録されている。それらの商会は、その後企業としてどのような栄枯盛衰の運命をたどったのか確かめるには大きな努力が求められるであろうが、なかには、たとえば、タイプライターの製造で大きな功績のあったレミントン社やシンガー・ミシン社などについての説明を見つけると、なつかしく感じられる。これらの商社名鑑を丁寧に読んでいけば、思いもよらない企業の記述の出会うこともあるであろう。もう一つは、ヴィクトリア女王即位60周年祝典におけるロンドン市内の行列風景の写真集と当時のロンドンの写真集が一冊に収められたものである(1899)。女王の乗った馬車や旧英国植民地諸国の馬車の行列を極めて鮮明に撮影した写真はじつに迫力があり、貴重な資料である。また、カールトン・ハウスの高級住宅、郊外チェルシーのチェイニー・ウォーク、バターシー公園、イートン/ハーロウ校の昼食パーティ等についての写真も興味深い。

  最後のPart3は、著述家チャールズ・E・パスコーが毎年アップデートして発行していたロンドンのホテルや娯楽施設等についてのガイドブックである。ロンドンを訪れる旅行者(たとえばアメリカからの)向けの一種の観光案内書とも言えよう。1887年刊行のものと、それに加筆・修正した1891年版が紹介される。ホテル、レストラン、劇場、美術館、紳士・婦人用の衣服の商店、書店等々についての最新の情報とお勧めのものについての助言が盛り込められている。一般庶民の視点からロンドンのもっている雑多な魅力が捉えられていて、読んで楽しいガイドブックとなっている。

 イギリスのヴィクトリア朝後期から世紀末にかけてのロンドンは、日本人にとって無縁な都市ではなかった。この時期(1900–02)にイギリスに留学した夏目漱石は、「倫敦塔」、「カーライル博物館」、『永日小品』所収の数篇等において当時のロンドンの光景を描いているが、この度収録されたコレクション資料は、それらの漱石作品と比較対照して読んでも十分に楽しんで研究対象とすることができるものである。あるいは、現代の小説家・庄野潤三(1921–2009)が、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(文芸春秋、1984)において、チャールズ・ラム(1775–1834)の生活圏であったテンプル地区を訪ねて、その周辺のストランドやフリート街についての描写を読むと、意外なことに当時のロンドンと時代的変化を感じさせない面が実感できるのも面白い。